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ども!

ご無沙汰しております。
マジでパンパンに膨れ上がっておりますの略、まじぱんです。

ブログ更新も、ブログ閲覧も、コメも絵にも手をつけず
私は何をやっていたのか。

謎。

と、してみたい気もします。アハ

何度か日記を書きかけては止め。
また書き始めようとしております、なう。

お時間が許す方は続きからどうぞ。



いきなりですが、皆様はおじいちゃんこ or おばあちゃんこですか?でしたか?
私の答えは、ノー。思いっきり、ノー。

十数年離れて暮らし、数年前からまた一緒に暮らし始めました。

◆祖父 きょういっつあん 97歳 
我慢強さは地域1の実績。我が家の守り神と呼ばれる。
小児麻痺のため、寝たきり。

◆祖母 おたかちゃん   94歳
おしゃべり。常に畑が気がかりな、アラ百。偏屈。

一緒に暮らす前は、年に数回会う程度。
一緒に暮らしてからも、「おはよう」と「おやすみ」を言う程度。

他人でもないけど、家族でもない(ような気さえする)人と暮らす事に慣れるには時間がかかる様で。

正直、どう接していいかわからなかった。

見る人によれば、なんという人でなし。
でも、それが私たちのスタイルでした。

それが、今年の初めから事態は急変。

「寒いから今日は寝てる」と言った祖母が、その日以来立てなくなり、
時を同じくして、祖父が癌であることが発覚。

持ち前の我慢強さがアダとなり、末期でした。
祖母も立てなくなってから痴呆が進み、1人ではご飯が食べれなくなりました。

アラ百ともなれば、どこかに歪がでるのは自然なのかもしれません。
大正生まれが誰の手も借りず2人暮らししていたことが、逆に驚き。

しかし、こんなにも同じタイミングでか!?と、うろたえる父と娘。
赤ん坊のオムツさえ変えたことのない私、娘。
どうする!?どうする!?

----------------

激動の数ヶ月、先月、守り神が亡くなりました。
「長く生き過ぎたな」とボソリと呟いた顔が忘れられません。
最後まで、「痛い」と言わずに。あの我慢強さは尊敬に値します。

私だったら「痛すぎる!」とひなっちゃうね。

最後の一息は、私が看取りました。何故だか涙も出ないその瞬間。

父の「おじいちゃんが死んじゃった」の一言で少し泣きましたが。
その後の二人の機敏な働き。葬儀の手配。
人間とは強いものです。しみじみ。

今では、オムツを替えるのはお手のもの。
車椅子をおせおせ墓参りにも出かけちゃう。

昨日はおばあちゃんを回転寿司に連れて行きました。
本人覚えてないけどw

更に特典として。
近い将来、私に子供ができたならば、
最初から華麗な手際でオムツを交換し、まわりから喝采を浴びることでしょう。
素早く介護申請もこなし、怒涛の1割り負担で必要なものを揃えてしまう。
葬式の手配だって手馴れたもんだ。←オイ

今、私は田舎の中の田舎地帯で暮らしております。
名前で呼ばずに、屋号で呼ぶような「ど田舎」。
二軒隣は親戚衆。そんな閉ざされた地域です。

最初は、あけすけで、噂が回るのも早く、いつでも私を見る目が取り巻く…
そんな土地柄が嫌で仕方がなかった。

いろんな事から逃げるように実家に帰ってきた後ろめたさや、焦燥感。
こんな土地に居る自分も情けなくて仕方がなかった。

しかし、祖母の「あんたが居てくれてよかった」という一言で、少しホッと息ができるようになりました。
本人は言ったことをすぐ忘れてしまいますが。w

ただただウザかった近所のおばさん&おばあちゃんとも祖母を通して打ち解け始め
「イチゴもってきたよ」「豆もってきたよ」「あんた頑張ってるから、お小遣いあげる」
「あんたにはいい婿を紹介してやる」…といたれりつくせり。
いやいやいや、まだ自由恋愛猶予期間は残ってるでしょう!?

「最初はとっつきにくかったけどね」と衝撃告白まで頂きました。w

四十九日までは、線香は一本だけあげること。
バラを供えてはいけないこと。
他人だと思っていた人が、実は親戚だったこと。
私と祖母がそっくりだということ。

この古びてシナシナだと思っていた場所にも、知らないことはたくさんあるようです。

最初は、「面倒をみなくては」とか「出かけてはいけない」と自分を縛り上げ
隣の芝生が青く見えまくり、近くの友人が羨ましくなることもありました。
「何故私が。隣の家は母親がやるのに、何故私が。」

二十数年生きてきて、その中の数ヶ月だけなのに。わかっちゃいるけど。

「してあげたい」と「なんで私がしなきゃいけないんだ」の葛藤。
誰かのために何かをする。難しい。

介護は、体力勝負でもありますが、この心の葛藤が一番の難関ではなかろうか。
そう思います。

今も私にまとわり付くこの感情は、きっとこの先薄くなれど、消える事はないでしょう。
祖母がこの世を去るまでは。

ちょっと前に、私と同年代の女の子達に
「介護ができるか?できないか?」というテーマに討論するテレビ番組を見ました。

さわりを見ただけですが、ひとこと。

「出来るか出来ないかではなく、やるんです!」(Kピラ風に)

全て自分でやるのではなく、差し出された助けの手はありがたく頂戴しましょう。
今日は出来ないと思ったら、ガッツリ手を抜きましょう。
怒りたくないのに、怒ってしまったら、謝りましょう。
話が分からなかったら、逆にそのカンジを楽しみましょう。
思わぬ名言、迷言、珍回答が得られ爆笑できます。
葛藤も悩みも全部溶かしてミックスジュース。

やれば、わかるもんです。その時は分からなくとも。
迷わずいけよ、いけばわかるさ!

私は順番が早く回ってきただけ。

少し悔やまれるのは、
祖父母ともっと話をすればよかた。気が付くのが遅かったけど。
気が付かないままいくより、ずっといい。

悲劇のヒロインになるのは大嫌い。
「後ろに引きずるものはあれど、想いは常に前にあるぜ」
私もサムライの血が流れているのです。



こういった話を人にすると、「大変だね」で締めくくられたり、面食らったような顔をされますが。
こんなのは、たいした話じゃないんです。だからもっと自然に聞いて欲しい。

痴呆の祖母が面白いことを言ったと報告し合い、爆笑。
お風呂介護の人たちが歌をうたってくれるけど、あれはどうにかならんか。と、討論。
さすがに「いい湯だな」は直球すぎる。でも、「竜宮城にいってみれば」は変化球過ぎる。
ところで、オムツはどこで買ってる?

やる前は大層だったことが、こうやって、日常に溶け込んでくる。
そして、近くにこうやって話が出来る人が居るのも頼もしいこと。
(幼馴染もほぼ同じ境遇)

2ジュウ代半ば同士でも、こんな話が出来るようになればコレ幸い。

しかし、やはり、やってみなければ分からない。
やっぱ、私も、きっと分かってなかったな。
自然に聞けないのも分かるわw

それぞれ、違う状況に違うスタイル。
私のスタイルは、只今、こんかカンジ。
そんな報告でした。

趣味ブログでこんな日記を書くのもアレかな。と思いましたが。
お互いを知らず、しかし、全く知らないわけではない。
そんな場所なら。と書いてみました。

文章にすると、自分の気持ちを整理できるもので。
お付き合いありがとうございました。

また、近いうちに!

追伸)
コメ、拍手、アクセス
全く更新もしないブログと化してしまいましたが、ありがとうございました!
後日お返事致します!とても嬉しかったです!

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